Responsive image

私たちWOOD HOUSE DESIGNは、
長野県上田市を中心に活動するちいさなデザイン集団です。
「人とモノ、人と人を繋げるデザインを」

第8回 T-バックへの旅路Ⅱ~ボクサーパンツ誕生前史~

とはいえ、<下着>は、ブリーフからひとつ飛びにT-バックに至ったわけではなかった。<下着>が「T-バック」へ至るまでには、さまざまな紆余曲折があった。何ごとにも歴史はある。歴史とは、時を巡る物語だ。

 

これは、私が幼い頃、おばあちゃんから聞いた物語である。

 

ブリーフから東に1200マイルほど離れた場所に、トランクスという名の小都市が存在した。トランクスは、温暖で湿潤なブリーフとは異なり、年中比較的高温で乾燥した気候のもとにある土地であった。気候柄、作物を育てるのにあまり適していない土地であったため、人々が定住する場というよりもむしろ交易の場として発展していった都市だった。ブリーフが統治都市として隆盛を誇っていた頃、トランクスはまだ小さな商業都市でしかなかったが、そこにはブリーフとは全く異なる豊かな文化が息づいていた。豊かな文化は、常に多様性のなかから生まれる。トランクスには、様々な人種を受け入れる土壌があったのだ。そのことは、もとよりトランクスという都市が交易の場として発展したことを考えると必然であった。トランクスは、多様な人々によってモノや情報がやりとりされる共同体として少しずつ発展した。その成り立ちは、ブリーフのそれとは対照的なものであった。

 

ブリーフは、一部の権力が多くの集団を統治することによって秩序立てられた共同体組織だ。したがってブリーフには、治者から被治者に対して厳密かつ画一的ないくつかの束縛が施された。その代表例が、「特定秘密保護法」であった。この法律では、「特定秘密」の第一項目として「下腹部の特徴や体内環境」が指定されており、ブリーフの被治者たちは皆、自らの下腹部を人前で露にしたり、排泄物を人目にさらしたりすることが法律によって固く禁じられていたのだ。その結果として、ブリーフの被治者たちは、下腹部に必ず下着を着用することが課せられた。なおかつ、下着によって個人が特定できないよう、皆が決められた同じデザインの下着を着用しなければならなかったのだ。これが、現代の「ブリーフ」という名の下着の原型だと言われている。

 

一方、トランクスには、そのような法律はなかった。<統治>という概念すらなかったから当然のことだ。だから、トランクスでは、下着をつけている者など、一人もいなかった。むしろ下着などをつけているとすぐに用を足せない。トランクスは言わずと知れた交易都市だ。のんびりと用を足しているうちに大事な商談が別のバイヤーに横取りされてしまうかもしれない。トランクスでは、しばしば用を足しながら価格交渉するおじさんの姿も見られたというから、案外せかせかした空気感の充満した都市だったのかもしれない。とにかく、トランクスには、<統治>という概念はおろか<下着>という概念もなかった。しかし、だからといってトランクスに集まる人々が皆下半身裸であったかというと、全くそうではなかった。トランクスの人々にも多少の羞恥心はあったのだ。ノーパンではあるが、局部を隠蔽するために薄手の半ズボンを穿いていた。トランクスは毎日暑い。できることなら何も穿きたくないが、羞恥心はある。その結果の「薄手の半ズボン」であった。また、トランクスの多様性を受け入れる土壌が、様々な柄の半ズボンを生み出したとも言われている。半ズボンの柄を自分の好みに合わせて楽しむ者が現れ、なかには半ズボンの柄で女の子にモテようとする者まで現れた。これが、現代の「トランクス」という名の下着の原型だと言われている。

 

このように、西のブリーフと東のトランクスでは、下着がそれぞれの共同体のアイコンとなった。下着を広めることによって共同体をより拡大させることができたし、共同体を拡大させるためにはまず何よりも下着を広く定着させる必要があった。そのため、共同意識を高めるために下着を長い棒に固定して高く掲げることが行われることまで行われた。一説によると、これが国旗掲揚の原型だとも言われているが、この情報はいささか蛇足であることは自覚している。知っていることをすべて言わなければ気が済まない性分なのでご勘弁いただきたい。ともかく、下着の広がりとともにブリーフ、トランクスそれぞれの共同体組織は拡大していった。それぞれの勢力が拡大していけば、必然的にその接点が生じる。ブリーフの円とトランクスの円のちょうど接点となった土地、「ボクサー」と呼ばれたその土地で、新たな下着史の幕が開けることになるのだった。

バックナンバー

episode

▲To Top