Responsive image

私たちWOOD HOUSE DESIGNは、
長野県上田市を中心に活動するちいさなデザイン集団です。
「人とモノ、人と人を繋げるデザインを」

第12回 「サヨナラ×3」の魔力

私がジャッキーと初めて出会ったのは、たしか1991年のある日、それは土曜日の夜だったはずだ。「ゴールデン洋画劇場」と聞いてピンとくる人がどれくらいいるだろうか。その番組でたまたま放映されていた「プロジェクトA」を見て、ジャッキーの魅力にたちまち憑りつかれてしまったのである。

 

当時、夜9時からの映画番組が各局で盛んだったと記憶している。具体的には、日テレが金曜ロードショー、テレ朝が日曜洋画劇場、そしてフジテレビがゴールデン洋画劇場だ。ゴールデン洋画劇場はその番組名からは直接にわかりにくいが、1991年当時は土曜に放映されていたはずだ。したがって、当時は金・土・日と3日連続で映画が放映されていた。今ではとても考えられないことだ。そして、金曜ロードショーはジブリ作品が多い、日曜洋画劇場はスタローンやシュワちゃんといった肉体派の役者が主演のアクション映画が多い、ゴールデン洋画劇場はこだわりがない、というようにそれぞれに番組のカラーというべきものがあった。しかし何より番組の特徴を決定づける要素といえば、番組の顔である「解説者」の存在であろう。改めて説明するまでもないが、金曜ロードショーは水野晴郎、日曜洋画劇場は淀川長治、ゴールデン洋画劇場は高島忠夫である。彼ら映画紹介の三羽烏は、互いを強く意識し合い、自分のキャラクターをおし出すのに必死だった。いや、正確に言うならば、淀川長治の強烈なキャラクターに、水野・高島が必死に対抗していたというのが本当のところであろう。淀川のキャラクターはズバ抜けていた。いくら水野が気持ちを込めて「映画って本当に、素晴らしいものですねえ」と言っても、いくら高島が親指を立てて声高に「イエーイ」と叫んだところで、淀川の決め台詞のインパクトに敵うはずもなかったのである。

 

「サヨナラ サヨナラ サヨナラ」

 

文字におこしたら何の面白味もないが、淀川の口からお決まりのフレーズが出ると、まるで魔法にかかったかのように、視聴者は必ず表情を綻ばせるのだった。当時小学2年生の私も、その例外ではなかった。いくらつまらない映画を見せられても、最後の、淀川による「サヨナラ×3」が聞けると、なんだか安らかな心持ちになり、その夜はよく眠れるような気さえしたのだった。映画の内容なんかどうでもよかった。どうせ淀川好みの、男らしい役者が出ているだけの映画だ。つまらないことのほうが多いに決まっている。それでもつい見てしまうのが日曜洋画劇場だ。なぜなら、淀川の、最後の一言、あの魔法が聞きたいからだ。

 

「サヨナラ サヨナラ サヨナラ」

 

殺し文句とはまさにこのことであった。一度聞いたら忘れられない、そして何度も唱えたくなる。これがまさに「サヨナラ×3」の魔力だ。これを読んでいる人も、ぜひ唱えてみていただきたい。

 

どうだろうか。なんだか胸の奥に詰まっていた感情の淀みのようなものが、スッと消えてなくなるような、そんなやさしい爽快感に包まれたのではないだろうか。「サヨナラ×3」は、読むものでもなく書くものでもなく、唱えるべきものであることがお分かりになるであろう。それでは、仮に淀川がいつもの「サヨナラ×3」に代わって、次のようなことを言いだしたらどうだろうか。

 

「グッバイ グッバイ グッバイ」

 

最悪である。「サヨナラ×3」の魔法を期待していた者にとって、これほど辛い仕打ちがあるだろうか。テレ朝には、「いつものサヨナラ×3を聞くためにつまらない映画を我慢して最後まで見たのに、グッバイとは何事だ。グッバイとは。これじゃ眠れないじゃないか。」という苦情が殺到するにちがいない。どう考えたって「グッバイ×3」はだめだ。それでは、これではどうか。

 

「バイバイ バイバイ バイバイ」

 

これでは、「バイ×6」である。「×3」というところにも「サヨナラ×3」の美しさはあるのだ。インド古典音楽では,同じフレーズを3回くり返して拍子のちょうど頭に戻る「ティハイ」という演奏様式がある。「ティハイ」が決まると、聴衆はまるで輪廻転生を疑似体験したようなカタルシスを得、思わず拍手と歓喜に沸くのである。そう、「サヨナラ×3」は淀川が編み出した「ティハイ」でもあるのだ。それでは、これはどうか。

 

「サヨナラ サヨナラ ヨドガワ」

 

思いますが、これはありなのではないか。「サヨナラ×3」のスペシャル・バージョンとして、たまに、それこそ年に1回ぐらい、「ティハイ」を外す日があってもいいような気がする。毎回「ティハイ」をくり返していると、どうしても「ティハイ」のカタルシスが摩耗していく。その作用を逆手に利用して、逆に「ティハイ」を外すことによって逆のカタルシスを生じさせる、いわば「逆ティハイ」ともいうべき手法だ。これはありだ。よく考えた淀川と言いたい。しかしさらに深く考えてみると、「サヨナラ サヨナラ ヨドガワ」は、3段落ちになっているという点で、「サヨナラ×3」よりも発想としては実はベタなのではないだろうか。もっと言うと、「うまく落としてやろう」というあざとさが見え隠れする。逆に、「サヨナラ×3」は、「3つ目で落ちると思わせといて落ちない」というスカシの技法に重なっているとも言えるし、「×3」のもつ根源的な美に迫ろうとしたラディカリズムを感じさせる。

 

おそらく、凡人ならば、自分のキャッチフレーズとして「サヨナラ サヨナラ ヨドガワ」を選択するだろう。こちらのほうが、落ちている感じがするし、淀川という自分の名前も入っているから、キャッチフレーズとしては常識的だ。しかし、淀川は、軽やかに「サヨナラ サヨナラ サヨナラ」を選んだ。このことの凄味。淀川は天才である。
というわけで、今回はジャッキーから遠く離れて淀川まで来てしまったことをお許しいただきたい。

バックナンバー

episode

▲To Top