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私たちWOOD HOUSE DESIGNは、
長野県上田市を中心に活動するちいさなデザイン集団です。
「人とモノ、人と人を繋げるデザインを」

第17回 春を買いすぎた男

すっかり春である。

 

外を歩くと目に映るのは、瑞々しい若葉を湛えた桜の木々の姿だ。雲一つない青空がまぶしい。桜の枝の漆黒に映える柔らかな若葉の青さが、静謐な青空に微かな不均質をもたらすその様もまた心地よい。

 

一方で足元に目を移すと、薄茶色に変色した数えきれないほどの花びらが、地面のアスファルトにびっしりこびりついている。それを見ると私は、祝祭としての春が消費され終わり、本来の春が到来したことを実感するのであった。

 

そんな折、春を買いすぎた男のニュースが全国を駆け巡った。

 

いわゆる「25年間で1万2660人の男」である。

 

最初にこのニュースを朝日新聞で読んで、私は目を疑った。桁が違っているのではないかと思ったのだ。そこでネットをはじめ、あらゆるメディアで確認したが、25年間で1万2660人という数字には変わりはなかった。

 

どうやら間違いないようだ。しかし私は今も信じられないでいる。だって割り算するとですよ、25年間一日も休まなかったとしても、一日あたり1.38739…人の計算になるのだ。実際には25年間一日も休まずということではなく、フィリピンにその都度渡航していたというから、行ったときにまとめて買春をしていたということになる。すると、1回あたりの人数が尋常ではないはずだ。

 

たとえば、1か月に一度フィリピンに渡航していたとすると、1回の渡航あたり42.2人を買春していることになる。そしてさらに驚くべきは、男の書斎にストックされた写真が14万7600枚、そしてそれらを収めたファイルが410冊にも及んでいるという点だ。信じられない数字の羅列に、私は眩暈を禁じ得ないのであった。

 

しかしその驚異的な数字よりもおぞましいのは、その男の「買春を継続することへの果てしない意志」である。写真に記録された一人一人を何度も思い出せるように、写真には一つ一つ番号が付されていたという。

 

この行為は「性的好奇心によるもの」などという表現では決して言い表せない、一人の人間の性癖や収集癖などがごちゃ混ぜになった極めてグロテスクな意志によって引き起こされているものではないか。だとすると、男が行っていた行為は、「買春」という言葉では回収できない「何か」であったに違いない。

 

その男は、ほかの誰もが思いもよらなかった、またほかの誰もが欲さなかった「自分だけの遊戯」を発見したのだ。しかしそれはあまりにもグロテスクな形を成しているので、一般社会に流布している言葉では表すことができなかった。メディアが用いた「買春」という言葉は、厳密には便宜的なものであったのである。

 

「1万2660人の男」のニュースに現実感がないのは、その男が作り上げた世界と社会通念が形成する世界との接着面が見当たらないからに他ならない。別の表現をすると、その男は、私たちの住む世界をいつの間にか飛び立ってしまったのだ。

 

社会通念によって形成される世界に住む私たちは、そのような「飛び立ってしまった人」をどう理解すればいいのか分からず、いつも戸惑っている。そして多くの場合、彼らを「精神異常者」あるいは「変態」などと決めつける。あるいは逆に「天才だ」と褒め称えることもある。

 

そういった「異常者」「変態」「天才」などというラベルを貼ることで、私たちは本来どこにもカテゴライズできない人を無理にでも既存の枠組みにカテゴライズしようと試みるのである。しかし今回の件ではそれが通用しなかった。なぜなら「1万2660人の男」が「教師」という「社会通念が形成する世界に住む人を育てる立場」にあったからである。

 

私たちは「1万2660人の男」を何十年にもわたって「教師」「校長」とラべリングしてきた。だから彼に「異常者」「変態」というラベルを忌憚なく貼り付けることにたじろいでしまうのだ。

 

私たちの住む世界は、極めて複雑だ。少なくとも万人を特定の枠組みにカテゴライズできるほど単純ではない。「春を買いすぎた男」は私たちの世界のいたるところに存在するはずである。数字の問題ではなく、「6030人の男」でも「127人の男」でも「3人の男」でも、「1万2660人の男」とその本質は同じである。

 

私たちは、そんな世界の複雑さをまずは受けとめる必要があるだろう。そして「1万2660人の男」が発する声によくよく耳を傾けなくてはならない。しかしながら今のところ私は、「1万2660人の男」の声と私たちの発する声のどこが同じでどこが違うか、判然としないでいる。

 

と、ここまで読んでいただいてなんだが、ひどくつまらない内容になってしまって申し訳ありませんでした。印象的なニュースだったので、それを題材にしたらおもしろくなるかと思ったら、全然だった。次回はアボカドの話にします。

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