旅のはなし2
こんにちは。なおいです。
新緑が美しい季節になりました。
今日も旅の話の続きです。
毎日の暮らしに追われると、なんだか本質を
忘れかけている自分がいたりします。
そんなとき、私はやっぱり20代の頃に出会った
フィリピンのひとたちを思い出すのです。
彼らの生きる強さ、状況を受け入れるしなやかさ、
他国の影響を受けながら、歴史に翻弄されながら、
理不尽な搾取にあいながらも
それでも独自の文化を失うことなく、
自分のルーツを忘れていない感じ。
「発展途上」という言葉がいまだにピンとこないのは、
やっぱり彼らの姿から学ぶことの方が多いから。
とてもとても人としてかなわないと痛感します。
そうは言ってもマニラなどの都会にいると、
グローバリゼーションの波は否応なしにやってきて、
悩める若者の姿も目にしますが、
それでもラテン気質の明るい強さは国民性なのでしょうか。
村に行くと、さらに何でもできちゃう「百姓」な人が
とにかく多い。
こうやって家畜を捌くなんて、日常のこと。
普段はお米食、菜食なのですが、祭事(お葬式や
結婚式や、農耕で大事な節目等)には豚などを捌いて
振る舞う。やっぱりお肉は特別なものです。
こちらは、家畜の豚が死にそうだったので、
死んでしまう前に先に捌いていたおじさん。
保存食として塩漬けにするのだそうです。
こちらは通学路。
ティーンエイジャーの若者たちは、毎朝この
「あぜ道」を通って学校に向かいます。
その足取りの早いこと早いこと。
ビーサンで、山道をサーっと降りていってしまいました。
彼らの身体能力はこうやって日常の中で
作られているんでしょうね。
これは山の水をひいた洗濯場。
井戸端会議ならぬ、洗い場端会議です。
ふんだんに水が流れています。
棚田が生きる糧の彼らの暮らしには、山の恵みの
水を頂く知恵がちゃんと受け継がれています。
標高2000mの棚田をみながらの洗濯、
ロケーションも最高なのです。
このブスカランという村は何しろ車ではたどり着けない。
道という概念。水道という概念。それがない潔さ。
インフラが整備されていないからこそ、文化と暮らしが
残るという、何とも皮肉なような、幸いのようなところ。
1000年以上も続く棚田文化を中心とする暮らし。
文化と文明の中で若者たちはおそらくいろんなことを感じ、
考えながらも、彼らの村に残り、村を支える人として生きていく。
ただの旅行者だからこそ、
こんな単純なことを言ってられるのだろうけど、
こんな村があって、そこに暮らす人たちがいて、
同じ朝を迎えているのだということを感じるだけで、
なんだか「今日もがんばろう」と思える。
ちょっとやそっとじゃへこたれない精神や、
どんな状況をも受け入れられるしなやかさ、
そして悩み、貫き、あきらめ、楽しみながら
生きていく。
ちょっと毎日に疲れたとき、たまにフィリピンの
写真をみながら、彼らはいまもあぜ道をかけまわって
いるのかな〜と思い出します。
日本でも大事なものを忘れていかないように、
お仕事も毎日の暮らしも、丁寧にやっていこうと
改めて感じます。
なおいめぐみ