あけましておめでとうございます。
永らくT-columnを更新できなかったのは年末何かと忙しかったからに他ならないが、かといってT-バックについての思索を滞らせていたかといえばそういうわけでもなく、そばをすすっているときも紅白を見ているときも、漫才を見て笑っているときも雑煮をおかわりしているときも、私は常にT-バックについて考えをめぐらせていたのだった。私はなんて真面目なのだろう。というわけで、新年早々から誠に恐縮ですが、早速始めさせていただきたい。
T-バックとは何か。この問いに対するひとつの解を求めることは、必然的に下着とは何かを問う作業と通じている。まずは、T-バックが帰属する<下着>※ここでは下半身用に限定する。以下同様。という概念について考察していかねばなるまい。
下着の主な機能は「漏れ防止」である。この機能は、<下着>という概念の芯に相当し、「下着の目的」と言い換えてもよい。したがって、現存する下着のなかで「オムツ」と呼ばれるものが、最も目的的な、あるいは下着原理主義的な下着と言えるだろう。だから究極的には、人間はオムツを身につけていれば事足りるのである。しかし人間は、オムツでは満足できなかった。なぜなら、赤子や老人はともかく、大人はほとんど漏らさないからである。ほとんど漏らさない大人にとってオムツは、ただ蒸れて脱ぎにくい衣類でしかなく、おまけになんだかごわごわしていて、格好のよい身のこなしにとって大変じゃまな存在となる。特にオムツの上からズボンなどを穿くと、股間のあたりがもこもこしてしまうので、例えば、名刺交換のときなどにお辞儀をすると、どうも衣擦れが気になる。「お得意様に礼を尽くしてここはひとつ、深くお辞儀をしよう」などと思っても、お尻のふくらみが気になって躊躇してしまうのだ。これでは得意先に礼を欠き、大事な商談もうまく運ばないのは目に見えている。だったら、タックの入ったゆったりフォルムのズボンにすればよいという考えが浮かぶが、残念なことにいま時流にのっているのは、細身のズボンである。タック入りのズボンなど穿いていると、間違いなく「一世風靡(いっせいふうび)」「えなりくん」などと揶揄され、悲しい思いをするに決まっている。そんな人生はいやだ。俺はもっと格好つけたいんだ。こうしてオムツは、多くの大人にとっての悩みの種となり、世間はオムツからの脱却を試みるのだった。
そこで生みだされたのがブリーフだ。当時、ブリーフはあらゆる点で画期的だった。まず形が違う。三角形だ。オムツの丸くもこもことしたフォルムとは一線を画すタイトで幾何学的なフォルムは、多くの大人の心をつかんだ。皆が素直に美しいと感じた。そして何より目を引いたのはその生地の薄さだ。オムツのように「なんとしてでも漏れを防いでやるぜ」という野暮な必死さがなく、むしろ「漏らすことなんかないよ。これぐらいの厚みで十分さ」という大人の余裕を暗示している。また、生地が薄くなったことによって、サラリーマンのお辞儀の角度がこれまでよりも深くなった。その結果、国内の商談成立件数が倍増し、サラリーマンの所得が飛躍的に伸びたのだった。高度経済成長の裏には、ブリーフの普及があった。さらに、オムツの時代にはなかった「前開き加工」が施された点もブリーフの大きな特徴として注目された。先に述べたように、下着の目的は「漏れを防ぐこと」にある。にもかかわらず、ブリーフでは、前から直接出せるように、生地を重ねるようにしてすき間を開けてあるのである。この点にも、漏れを恐れない大人の余裕が感じられる。しかしそれ以上に、「漏れそうになったらすき間からすぐに出す」という「即時性」という機能に下着の可能性が見い出された点にこそ、ブリーフの何よりの白眉があった。
このように「幾何学的美しさ」「大人の余裕」「即時性」を追求したブリーフは、これまでオムツが抱えていた下着原理主義から一歩脱却し、新しい<下着>の側面を提示して見せたのである。この革命の物語をひと言で言い表すならば、「目的地からの解放」と表現できるだろう。オムツの登場によって<下着>は、「漏れ防止」という本来の目的地に安住の居を構えたが、ブリーフの見事なまでの跳躍によって、「漏れ防止」という故郷から旅立ったのだ。
そしてその後、<下着>はさらに目的地から遠く離れた土地へ移住することとなる。その土地の名こそ、他ならぬ「T-バック」であった。